パンツは履いておけ。

この世は乱世

女の本懐

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 小さい頃から、私は「女の役割」を肌で実感させられていた。そして、それを遂行しなければ、自分の居場所が作れないのだろうと考えていた。

 それをふと思い出させられた出来事があったため、ちょっと書いておこうと思う。

 

 

◇◇◇

 

 

 父方の祖父母にとって、私は内孫の中での唯一の女の子だった。だから、父方の親戚からは、ひとしお「女の子」として扱われていた。

 男ばかりのいとこの中に混ざって外遊びなどしようものなら、まずスカートの下にブルマを穿いているかをチェックされる。

 私の兄弟といとこがさっさと靴を履いて外に駆けていく中、私は自分のスカートをまくりあげて、ブルマを穿いているところを大人たちにきちんと証明してからでないと、外で遊ばせてもらえなかった。

 そして、親戚の集まりなどでみんなでご飯を食べるときに、私が男の子たちや大人のおじさんたちよりも早く食事に手をつけようとすると、母親や祖母から「女の子が、みっともない」「意地汚い」と小言を言われたものである。隣にいた弟は、よっぽど腹を空かせていたようで、がつがつと好きなマグロの寿司を食べていたのに、だ。

 女だって腹は減る。男より先に手を付けていけないのはなんでなの? だが、当時の私は、まだ、それを大人たちに聞く勇気を持ち合わせていなかった。

 だから、私は黙って女の子に「なる」。好き好んで、この性別に生まれたわけじゃなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 話は飛んで現在。2X歳の私。もうすぐ関西へ引っ越すので、時折荷物の整理のため、東京の実家へ帰っている。

 もう、関東へは戻らない。戻りたくもない。この地は、私には合わなかったんだと思う。人も空気も大学も、何もかも。最も、どこにいても、私のような偏屈な人間、生き辛いと感じて、勝手に死んでいくだけなのかもしれないが。

 

 本棚を整理していたところ、一冊の古ぼけたノートが出てきた。

ずいぶん色褪せていたけど、私たち兄弟の3人の名前が書かれていて、「育児記録」と書かれていた。

 それは、紛れもない、母が昔使っていたノートだった。夜逃げした際に、置いていった物らしい。私は恐る恐る、ページをめくった。

 

 

199X年6月14日 あめ (兄の名前)6才 (私の名前)(弟の名前)2才9ヶ月

お兄ちゃん、6才の誕生日は雨。代々木の〇×学園の模試を受けるため、ママと外出。

 9:30~12:30まで模試。代々木駅近くのコージーコーナーで、苺のジャンボパフェを食べる。家に帰り、HappyBirthDay。

おじいちゃん・おばあちゃんに来てもらう。

16時~18時。ケーキを食べ、お寿司を食べ、楽しそうだった。

プレゼントは先渡しのオセロゲーム。

 

 確か、兄は幼少期、オセロが好きだった。よく私も付き合わされた。そして、今は亡き祖父母の名前が出てきたことに、少し懐かしくなった。

 ページをめくる。

 

199X年7月4日 はれ (兄の名前)6才 (私の名前)(弟の名前)2才10ヶ月

(私の名前)ちゃん

おしゃべりが上手になった。ときどき、"何すんだよ、ぶーぶー!"とすごい口調になるが、だんだん女の子らしくなってきている

スカートが好きで、髪型の注文をつける。公園に行くのもスカート。

髪は、おねえちゃんする(ポニーテールのこと)とかしずかちゃんにする(ふたつに分けて結ぶ)とか…その日によって違う。鏡の前でうっとりしている。

 

 女の子らしく「なってきている」んじゃなくて、私は、あなたたち大人に、女の子に「させられた」んだよ。

 

199X年1月17日 (兄の名前)6才7ヶ月 (私の名前)(弟の名前)3才4ヶ月

(兄の名前)くんは、小学受験の入試が終わった。さんすうが得意。もう掛け算が出来るようになった。

 

(弟の名前)くんは、とにかく活発。ポケモンが大好きで、ピカチュウ、ふしぎバナ、ゼニガメetc…毎日変身してポケモンごっこしている。

あまりちゃんとしゃべらないので、「ちゃんと喋らないと、ホントにしゃべられなくなるよ」と脅したら、長いフレーズで突然話すのでびっくりする。

結構核心をついたことを喋る。

 

 

 

 そう。確かに弟はそんな奴だった。もっとも、もう何年も会ってないから、今はどんな人間になっているのかは知らないが。

 

(私の名前)ちゃんは、すっかり女の子。ズボンはきらい、スカートにつながったタイツがお決まりのスタイル。

よくしゃべる。「ママ~!私の優しいママ、だ~いすき」とよく言う。

おばあちゃんから貰ったお人形をどこにでも連れていくので、茶色がかってきた。

 

 

この頃から、私、母親にゴマをすっていたんだなあ。

 

 幼少期の私の世界の全ては、母親だった。

 母親が女の子らしくいてほしいと願うなら、私はそうするしか生きるすべがなかった。だから、多分、ご機嫌取りのために、女の子らしくなっていたんだと思う。今、大人になって、ようやく分かって来たことだけど。

 ちなみに、このノートに記されているお人形とやらは、現在母親が所持している。これを買ってくれた「おばあちゃん」は、母方の祖母——つまり、母の母だった。

私が母親の元を離れる際に、「こんなものいらない!」と母親に叩きつけた。

 とっくに捨てたと思っていたのだが、数ヶ月前に用事があって母親宅を訪ねた際、タンスの上に静かに座らされていた。いちおう自分の母が娘に買った、いわば形見だからだろうか。

 しかし、経年により、人形の髪の毛はボロボロで、顔は煤けている。都内にあるマンションの一室の片隅で、この世の全ての怨念を背負って生きているかのような、薄汚れて、気味の悪い雰囲気を放ち続けているのだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 女になりたくてなった人なんか、この世に一人もいるもんか。(逆に、男になりたくてなった人も、いないはずだ)

 だけど、性自認は女なので、私はトランスジェンダーというわけではない。だから、これからも女として生きていくのだろう。

 そして、女の先輩から押し付けられていた女の在り方っちゅうもんに悩まされ続け、こじらせて生きていくんだ、私は。女でいることに悩んで生きて来たくせに、また女子校の門を叩いてしまったのはそういうことなんだろう。

(そもそも、日本できちんとジェンダー系の科目を開講しているのが女子大ぐらいしかないっていうね。はい。)

 

 日本の性教育が後進的とかいうニュースも流れているが、大学教育で変なキャリア系の講習やるんだったらジェンダーに関する科目をやった方がいいと思うし(だって就職予備校じゃねーんだから)、そもそも、そのもっと手前の段階の初等教育から、セックス(身体的)・ジェンダー(社会的)・セクシュアリティ(内面的)に関する三つの観点から性教育をきちんとやっていくべきなんだ。

 私が死ぬまでに、研究者としてこういう所に何か尽力できればなあと考えている訳で、それが私の女としての本懐だ。

 

 これから生まれてくる女の子たちに言いたいのは、必ずしも女の子らしくする必要はないよということだ。言いたいっていうか、鼓膜ぶち破れるぐらいメガホンで叫びたい。なにこのオバサン、って思われてもいいから。

 女の子らしくなくても居場所はあるし、いくらでも自分で作れるし、それが自分一人しかいられない四畳半ぐらいのスペースだったとしても、あなたが幸せならそれでいいんだ。他人から見て幸せである必要は、ないのよ。って。

 

 

 毎度宣伝失礼します。