パンツは履いておけ。

この世は乱世

「激しさだけで売らなくていい」/ヤリマンの私、バンザイ。

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 小野美由紀先生のクリエイティブライティングに参加してきた。(通算二度目)

午前中に身体を動かして、午後に文字を書く。そして、最終的に一日の総決算として何かをクリエイトして他の参加者の前で発表するというのがこのプログラムの流れだ。

 私はずっと書きたいと思って構成を考えていた「パパ活」をテーマにした小説の書き出しをここで執筆した。

 

 小野先生は私の小説を聴き、「激しさだけで売らなくていいんじゃない」と言った。凛とした声が、上野区民館の一室に響いた。

 

 その言葉を聞いて、私は安心した。同時に、激しさだけが私の持ち味じゃないよな、と思った。

 題材とするコンテンツ選びがいつも性と生に対して鋭利でグロテスクなものばかりという自負はあったけれど、それ以上に、私が伝えたいものはグツグツと腹の奥底で煮立っている。

 パパ活はいわゆる「流行り」で、そろそろ煎じられ過ぎて出涸らしも出なくなりそうなコンテンツ。分かってる、そんなの分かってる。だけど、そこに私の「性と生」観を加えれば、まだ十分にうまみのある、付加価値をプラスした美味しい小説が出来上がるのではないかと考えて、あえてこの題材で書くことにした。

 

 だから、小野先生の言葉を聞いた時に、なんか安心したんだと思う。まだ自分の心の奥底にあるものと書きたいものが一致していないけど、小野先生に「方向性は間違ってないよ」って背中を押されて、テストの答案を確かめ算してもらった気分。

 帰りに小野先生からもらった、コメントが書かれた付箋には、「あとは読者に何を与えたいかを選ぶだけ」と書かれていた。私は何を与えられるだろうか。

 

 

◇◇◇

 

 

 私は色々なことに対して、"ヤリマン"で生きてきた。

 習い事もたくさんやった。でも全部長続きしなくて、特に母からやれと強制された日本舞踊やピアノなんかは、十数年経った今では、血を吐く思いで身に着けた舞の所作も、楽譜の読み方も、染み抜きされたみたいにすっかり私の身体の中から抜け落ちた。

 母親からはそれを、「長続きしない」「根気がない」「どうしようもない子」と酷評されて生きてきたのだが、今になるとヤリマンでよかったのかも、と思うことがいっぱいある。

 舞い方や楽譜の読み方は忘れても、それを"経験した私"は消えないからだ。私が生きている限り、永遠に消えることはない。

 

 物書きは、たくさんのことを知らないと書けない。もちろん、取材や書き手の想像力で補完できる部分も多いにあるけれど、結局は、自分が何を経験してきたが「読者に与えられること」なのではないかと思う。

 

 だから、ヤリマンの私はヤってきた分だけ他人に与えられることが多いのではないだろうか。とりあえず無事に執筆を終えられたら、ヤリマンでよかったぜって叫びたい。