パンツは履いておけ。

いろいろはみだしてる人の人生備忘録

6階の死にぞこない

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これは、私が飛び降り自殺をした時の話である。

 

16才。ある秋の終わりの夕方、自宅マンションの6階から飛び降りた。

ベランダの柵の上に立ち、街を蜜色に染め上げていく斜陽を眺めた後に、「もういいや」と思って、真っ逆さまに飛び込んだ。

落下していくときに、瞼の裏で感じたオレンジ色がとても綺麗だった。

私は、その日より美しい夕日を見たことがない。

 

まあ、残念ながら、私は生きていたのだが、目を開けるとそこは病院のベッドの上だった。

超がつくほど悪運の強い私は、全身打撲とかすり傷で済んで、骨一つ折れることがなかった。

なぜなら、私が住んでいたマンションの下はいつも不法投棄のゴミで溢れていたからだ。その中のソファが、私の命を救ったのである。

 

死にたかったなあ、と呟こうとしたが、声が出なくなっていた。

代わりに、着けていた呼吸器がカシューという情けない音をさせた。それは紛れもなく、私から吐き出された生命の息吹だった。

 

全身打撲とかすり傷で、最初見た目はエグイことになっていたが、若さが持つ究極の回復力はみるみる私の傷を癒していった。

 

見舞いに来た母親は、私を抱きしめた。

 

「も~!心配したのよ~!」

 

数年ぶりに、私を抱きしめた。

 

だが、

 

今まであんたにどれだけ学費かけたと思ってるのよ~!

 

と言ったので、ああ、この人が心配しているのは、お金なんだなと、それまでピントがぼやけていた入院生活が、急にクリアになって現実味を帯びた。

 

たぶん、その時の母の目には、私は人間ではなく、今まで私の教育に費やしてきた札束に映っていたのかもしれない。

ついでに、近所の人に自殺決行現場を目撃されていたらしく(その人が通報したらしい)、「恥ずかしいじゃない!そういうことしないでよね、あのマンション住めなくなるよ!!」と言い放ち、母は嵐のように帰って行った。

 

そんな母の態度に、傷ついているはずなのに、もう不思議と涙も出てこなかった。

 

身体の傷が癒えると、私は精神科病棟にうつった。

 

 

以前、中学生のときに自殺未遂をしたときは、小児専門の心療内科病棟に入院していたが、このときは初めて全年齢対象の精神科に入院した。

 

 

看護師に車いすで連れていかれ、まずラウンジのような場所に案内された。

大きなテレビが置かれていて、少しの雑誌がある本棚と、小さなキッチン。

それを監視するかのように、窓ガラス張りのナースステーションが病棟の中央にどかんと居座っていた。

 

「今日からしばらくここで暮らすのよ!いい所でしょう」

 

看護師は笑顔で言った。

 

言葉を失った私は、看護師に言われたことをイエスかノーかだけでしか答えることができなかったので、ゆっくり頷いた。

 

すると看護師は、

「そう、良かったね!!」

と、またはちきれんばかりの笑顔で言った。

 

全然良くはなかったけど、面倒くさいので私は頷いた。

 

「でも、もう少し元気になるまでは個室の中で過ごそうね。良くなったら、ここで他の人たちとお話しできるようになるからね」

 

そして私は個室の病室に連れていかれ、そこで数週間過ごした。

 

 

◇◇◇

 

 

看護師たちの親身なリハビリがあり、私は少しずつ言葉を取り戻した。

他者の言っていることも、最初の頃よりは早く理解できるようになり、赤ん坊のように単語だけで会話ができるようになってきた。

私は看護師に手を引かれ、ラウンジに案内された。

 

 

「ここで、ちょっとずつ他の人とお話しする練習よ」

 

 

老若男女、本当に色々な人がいた。

 

まず、統合失調症で自分を社長だと勘違いしている30代男性から洗礼を受けた。

「自分、こういう者で、宜しくお願いします!」

といって渡された名刺は、薄っぺらいルーズリーフの切れ端で、手書きで『株式会社 楽天社長 ○○』と書いてあった。

 

他にも、ブラック企業で散々な目にあって休職中の50代サラリーマン男性、生活保護を受給中のシングルマザー40代女性、睡眠障害と自傷で2留中の青学生、彼氏との仲がきっかけで様々こじらせてしまったという20代フリーター女性、引受先がおらず社会的入院を余儀なくされている80代のお婆ちゃんなど、多岐に渡る事情を抱えた濃い面子がガン首を揃えていた。

 

精神科の患者を見れば、その後ろにある現代社会の闇もまた透けて見えるのだ。

(私は後年うっかり社会学を専攻することになるので、実にこういったことについても首をつっこんでくのだが、実体験が非常によく役に立っている)

 

 

さて、その中でも最も印象に残った人がいる。

私の一個上の、マスミちゃんという女の子だった。

 

彼女は、私と同じように、自宅マンションの6階から飛び降りた。

6階というのは、建物にもよるがおおよそ地上15mである。そこから飛び降りると死ぬ確率は大体イーブンと言われている。もちろん生きていたとしても、どこかしらに後遺症が出る可能性は高く、私のような例は極めて稀だったのだ。

 

マスミちゃんは、腰をやってしまっていた。

そのため車いす生活を余儀なくされており、独りでは入浴もトイレもできず、看護師の介助を必要としていた。

 

仲良くなってからしばらく、マスミちゃんは言った。

 

「あなた、本当に良かったね。私みたいに、死ねもしないし下手に障害が残るなんて、最悪だよ」

 

何とも言えない気分になった。

だが、無傷だった結果、肝心の母親にはあのように言われたのだ。だったらいっそ、生きていても、原型をとどめないほどぐちゃぐちゃになって、後遺症が残って、母親に「ごめんね」って言わせたかった。

 

私は、力を振り絞って喋った。 

 

「わたし、マスミみたいに、なりたかった」

 

そう言ったら、マスミちゃんは私をはたいた。

近くにいた男性看護師が、慌てて寄って来た。

 

「マスミちゃん!叩いちゃだめでしょ!!」

 

「だって、この子が私みたいになりたかったって言うから!」

 

看護師は、えっという表情で私を見つめた。

私は頷いた。

 

「そんなこと言っちゃダメだよ~」と子どもをあやすように場を取り繕うとした彼は、まだまだ青二才っぽい青年看護師だった。

 

マスミちゃんは言った。

 

「いつかそんなの間違いだったって思う日が来るよ、きっとね」

 

そして、車いすを上手に使いこなし、自分の部屋に戻って行った。

彼女の凍てつくような目、今でも忘れない。

 

 

◇◇◇

 

 

マスミちゃんとは、退院以来会っていない。

今どうしているのかも知らない。

 

だが、彼女の言う通り、私はいま五体満足で居られて良かったと思っている。

あのとき半身不随にでもなっていたら、その後アルバイトもまともにできていないから、今の夫にも出会えていなかっただろうし、たぶん毎日の生活に手いっぱいで、大学受験をする気力も湧かなかったと思う。

 

命を投げうつことは、簡単そうに見えて難しいのだ。

 

私は「いのちをたいせつに」なんて安っぽいスローガンを唱える気はない。

むしろ自殺も人生の選択肢だと思っている。

「生きていればいいことがあるよ」なんて、それは実際にサバイブした人たちが言ってるセリフなので、生存バイアスだらけの虚言に過ぎない。

 

 

だから、自殺するならするで、本当にその選択肢でいいのか、失敗したときに障害が残ったらどうするのか、考えないといけないと思う。

自殺に及ぶ人なんて、それを考える余力すら最早残されていないのかもしれないけど、それらの問題に向き合えないのなら、自殺する資格なんてないよ。

と、私は過去の経験から思うのだ。

 

私は、それらの問題に向き合わずに、がむしゃらに自殺に及んでしまった。

運よく五体満足で帰ってこられたけど、もしそうじゃないifの世界を想像すると背筋に冷汗が伝う。

 

カッコつけて言う訳じゃないけど、そんな思いをするのはこの世に私だけでいい。 

 

 

 

 

 

そんな6階の死にぞこないの人生を描いたエッセイは10/31(水)Kindle配信予定です。

三度のナチュラルな販促乙。

 

パンツは はいておけ: 中卒フリーターが大学進学した話

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 ノンフィクションですが、人物の名前は仮名です。

 この文章は、自殺を推奨するものではありません。