パンツは履いておけ。

いろいろはみだしてる人の人生備忘録

東京生まれの日本人は、韓国人の夢を見るか?

日本人――とくに若者は、とかく日本をこき下ろす風潮があると言われている。

かくいう私も、ことジェンダーにおいては日本をこき下ろしまくっている。そりゃ、ジェンダーギャップ指数117位の国を称賛するほうが無茶な話である。せめて50位以内入ってから出直してこいっつーのが、フェミニスト(兼マスキュリスト)の私の、日本という国に対する評価である。

だがしかし、日本のことが嫌いなわけではない。

それは海外に行くたびに痛感する。

これほど治安がマシな国はないし、インフラは整備されているし、何よりゴハンが美味しいのだ。特に食事は何よりクオリティ・オブ・ライフに直結するので、これが最悪な国はもう他がどんなに良かったとしても、幸福度ガタ落ちである。いや、マジで。

 

だから、日本って、改めてすごいなぁって思う。

なんかあるたびに「諸外国と比べて日本は~」ってすぐにボロ叩きするちょっと政治を齧っただけの大学生とか、なんかの啓発本の熱気にアテられちゃった人とかいるけどさ、よくよく考えてみてくれよ。日本ほど安全に安心に暮らせる国があるだろうか。こうするとすぐに「でも歌舞伎町は危ない」とか「憲法9条が~」とか唱える輩がいるのだが、世界の何処かではアナーキーな政治が繰り広げられていて、今この瞬間にも夜襲に怯えている人たちがいるということを思い出してほしい。隣の芝生は青く見えるだけだって。超幼稚な論の展開だけどさ。

(海外滞在経験があるなど、きちんと比較検討したうえで自国叩きする人は、この限りではない。)

 

自国叩きもいいけど、時々でも海外に出て、相対評価でいいから日本の良さを噛みしめたほうが、幸せな人生だと思う。

 

 

◇◇◇

 

そんなことを考えながら、ソウル市内のコンビニに入ると、時間が悪かったのか、店内に長蛇の列が出来ていた。時刻は夕方。カウンターの中では、数少ない店員たちがせわしなく動いている。私は、がんばれ、と心の中で呟きながら、店内を物色して列が空くのを待つことにした。

その時だった。

いい年こいてそうなおっさんが、「チッ、チッ」と店員の方を見ながら舌打ちをしていた。自分の手に持っている商品を棚にぶつけ、店員をにらみつける。言葉が分からなかったが、恐らく店員への呪詛のようなものをつぶやいていた。

最終的に、彼はしびれを切らしたのだろうか、自分がかごに入れていた商品を全てぶちまけて、店を後にした。

すっきりしたつもりだったのだろうか。そこには、散乱した商品だけが残された。

 

そして、ちょうど、私の頭の中では「ナッツリターン」の報道がよぎっていた。

連日ニュースで流された女性の金切り声は、私たち日本人に「韓国人は気性が荒い」という鮮烈なイメージだけを植え付けて、台風のように去って行った。というか、韓国のポジティブなニュースが放映されていた記憶が、あまりにもなさすぎる。

メディアの情報操作なのか、それとも私が余りにもノンポリすぎてニュースを見ていないからなのかもわからないが、ポップカルチャー以外での韓国の明るい報道を聞いた記憶は、皆無なのだ。

 

(やはり、韓国人って――)

 

そこへ、帽子をかぶった、気弱そうな青年が近づいてきた。イメージはちょうど、俳優のスティーブン・ユアン。彼は、見知らぬおっさんがぶちまけた商品を、けなげに拾って、元の位置へ戻していった。

 

その光景にハッとさせられたのだ。

 

そうだ、同じ韓国人でも、個性がある。

一人一人違う人間なのに、どうしてこうも、ステレオタイプ化した韓国人像で彼らを一括りにしてしまい、あまつさえ色眼鏡で見てしまおうとしたのだろうか。自身の浅はかな思考を恥じた。

日本人だってそうだ。典型的な日本人像として挙げられる「穏やかでNOと言えない」者もいれば、私のように気が強く、意見をビシバシ突きつける者だっている。

それぞれ個性があるなかで、それを押しのけて「国民性」などという言葉で括るのは、ただの傲慢である。

 

この外国人のイメージのステレオタイプ化が自国叩きと共通している点は、無知によるものということだ。

無知が、私たちに無意識のうちに仮想敵を創り上げさせ、生き辛くさせているのではないだろうか。(日本での韓国報道は、これに当てはまるものがあると思う。)

もちろん、ジェンダーギャップ指数のように、数値に裏付けられた生き辛さも日本にはある。だが、無知がゆえに、諸外国の詳細を知らず、隣の芝は青く見えた結果、自国叩きをして自ら生き辛くしている人たちがいるのも事実だ。

 

 

 

 

スティーブン・ユアン似の彼は、商品を全て整え終えると、何事もなかったかのように買い物へもどった。

楽しそうにスナック菓子を選ぶ彼に、何か労いの言葉をかけてあげたかったが、そのようなハングル語を話せるほど言葉が上達していなかったので、「大丈夫、あなたの優しさを見てる人はちゃんといるよ」と念を送り、私は帰路へついた。