パンツは履いておけ。

いろいろはみだしてる人の人生備忘録

ハイヒールで白線を踏みにじれ

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以前の大学で親交のあった先生と、食事に行った。日比谷のちょっとおしゃれなイタリアンバー。とはいっても、酒は飲まず、二人で料理を嗜んだ。

互いにリスク管理は十分。ま、男女二人きりで食事に行かないのが一番徹底したリスク管理であろうが、そんな薄味な人間関係では人生つまらないものだ。向こうもそう考えてくれたからこそ、私の誘いに応じてくれたのかもしれない。

ただ一応、お守り代わりに左手の薬指に指輪をつけていった。自意識過剰と言われたらそれまでではあるが、そういう「もつれ」が起きたときに一番煩いのは、当人たちより外野なのだ。他人にあることないことをガヤガヤ噂されることほど、人生においてしょーもないことはない。

 

予め明言しておくが、私と先生には恋愛感情は一切ない。

それに、先生はセクハラなどのリスク管理は徹底していた。私が髪をバッサリ切って来た時も、明るいド茶髪からいきなり日本人形のごとく真っ黒に染めてきても、「髪切った?」とか「髪色変えた?」といった話題は絶対に発しなかった。

先生は、その言葉さえもセクハラに捉えられ兼ねないことをちゃんと知っていたのだ。だから、髪はもちろん、身体的特徴を自分から話題にすることは無かった。そんな硬派な人物なのである。

さらに、もう若手と呼ぶにはキャリアをかなり積まれているお方で、ポストが空き次第昇格、といった実力者でもあった。

まあ、だからこそ硬派にならざるを得なかったのかもしれないけど。ハラスメントなんてやらかしてしまったら、全部パーだ。

 

 

店に入ると、先生は脱いだ上着を几帳面に畳んでカゴに入れ、メニューをきちんと一番最初のページから読み始めた。そのロボットみたいな動作に、メニューを盾にしてこっそり笑ってしまった。

 

先生、やっぱ変わってねーや。いや、そりゃ、数ヶ月でそんなに人って変わるもんでもないけどさ。

 

注文を終えると、すぐにウエイターが飲み物を届けに来た。彼が恭しく一礼をして去るのを確認すると、私と先生は他愛もない会話を始めた。

ストローの先で氷を弄びながら直近の愚痴を語る行儀の悪い小娘にも、きちんと相槌を打ってくれる、心地の良さが懐かしかった。

 

 

◇◇◇

 

 

程よい満腹感と、溜まりに溜まった愚痴を吐き出した心地よさを抱いて店を出たときには、あたりは真っ暗になっていた。とはいっても、十分に終電を気にしなくていい時間帯ではあったが。

初夏の蒸し暑さがアスファルトの下から込みあげて来て、まとわりつくような熱気にびとりと襲われた。

額に汗を浮かべながら、私と先生は、駅まで一緒に歩くことにした。

その時だった。

 

「……あれ、背、伸びた?」

 

先生が初めて私の身体的特徴に触れたので、びっくりした。

もちろん、嫌な気持ちなどあるわけない。さすがに「おっぱいおっきくなった?」と言われた暁には金輪際の付き合いを遮断することも考えるが、身長の話などをされて気分を害するほど、私と先生の仲は他人行儀なものではなかった。

 

「まあ、〇〇大(前大学)にいた時より伸びましたけど、たった1cmですよ。ていうか、今日高いヒール履いてるからじゃないですか。」

 

私は足を折り曲げてかかとを見せた。

先生はそれをしげしげと見つめていた。

 

やべー面白い。

私は宵闇に紛れて、またこっそり笑った。

 

なんでもセクハラになっちゃうから、先生は気を付けていたんだろう。特に、編入前もジェンダーについて専攻したいという私の気持ちを知っていたから、このビンビンに逆立った逆鱗に触れないようにしていたのかもしれない。

とはいっても、私はよっぽど露骨なこと以外はセクハラには感じないタチなので、そこまで気を遣わなくても……というのが本音であった。

ただ、セクハラというのは受け手本位で起こる行為であるし、ましてや初対面で「あ、これはセクハラに感じない?じゃあこれは?」などと、セクハラ線引きの確認をするわけにもいかない。

つまり、相手によってそのラインが曖昧だからこそ、先生は自分の心のなかにきっちりと白線を引いて、それを踏まないように、学生に対して皆平等に、画一的に、厳格に気を付けていたのだ。

 

それが今回、私の所属が変わって、直接的な教員ー学生の関係でなくなったためか、少し気が緩んだのかもしれない。私のハイヒールは、意図せず先生の几帳面に引かれた白線を踏みにじってしまったようだった。

 

「〇〇ハラ」という言葉が流行り、些末な事でさえもハラスメント扱いされる昨今で、敏感にならざるを得なかった先生。

そんな先生が、心を少し許してくれたようで、ちょっと嬉しかった。

だから、気分が良くなって、しゃんと背筋を伸ばして誇らしげに答えた。

「私、ヒールを履くと身長が170cmぐらいになるんですよ」って。