パンツは履いておけ。

いろいろはみだしてる人の人生備忘録

鉄壁のまんこ

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↓の続きです。

 

virgo.hatenadiary.com

 

 

 

木曜日の研究室は、居心地がいい。毎週この曜日に、私は勉強会と称して指導教員の研究室を訪問することになっている。そこで、先生と私は、学問のことやら人生のことやらについて、好き勝手話すのだ。出会ったばかりの学生に援助交際歴があるという過去を告白されたにもかかわらず、顔色ひとつ変えずに、それさえも研究テーマだと言い張ってくれた我が指導教員の好意に、私は今、どろどろに甘んじている真っ最中なのである。

 

現在、自身の研究テーマに対してどのようなポジションをとっていいか分からず、途方にくれている私であるが、どれほど追い詰められているかというと、現実逃避に突然茄子を育て始めるほどである。別に、茄子が好きとか、家庭菜園そのものがやりたかったとか、そういうわけではない。植物を育てることを通じて、自分の過去との曖昧な向き合い方がどうにか変わらないかとか、そういう甘っちょろくてよこしまな感情を抱き、茄子の育成に着手したのであった。(たぶん、南木佳士さんのエッセイの読み過ぎである。)

 

 

私はいそいそと近所の100均でプランター、野菜用の土、じょうろ、スコップをかき集めた。用具が高価であればいいというものでもないが、このあまりに安価すぎる園芸用品一式から、私の家庭菜園への本気度の低さが伺えるだろう。しかし、植え始めて二週間、チープな生育環境にもめげずに、茄子の苗はすこやかに背を伸ばし、ひとつの大きな蕾をつけた。一方で、私には未だ何の芽も出ていない。これが、残酷な現実である。

 

 

 

「『なぜ、ジェンダーを研究するのか』っていう問いは、君にとっては『なぜ生きるのか』っていう問いとイコールなんだと思う」

 

 

 

寝る前に先生からの言葉を反芻し、茄子に霧吹きで水をやるのが、私の日課になった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

17才で無事にぱんつを売った私は、その後、味をしめてパンツを売りまくる——などという風にはならなかった。

 

確かに、「自分が丸一日バイトして得られる日給は、ぱんつを売れば一瞬で稼げる」という事実は静かに私の胸を刺したが、ぱんつを売る手間や、ぱんつの元手を考えると、それほどいい商売だとも思えなかったからだ。さらに、郵送であったとしても、他人(しかも、女性の履き古したぱんつに興奮するような人間)に自分の口座や本名を知られてしまうのが怖く、ぱんつを売り続けるということは、そうしたリスクを増大させていくことだと気づいた。そして何よりも、バイト生活がとても充実していたからだ。先輩とも馴染んだし、後輩も出来て、社員ともシフト終わりにごはんに連れてってもらうぐらい仲が良くなったので、ぱんつを売るよりも、安い賃金でも、やっぱこっちのほうがいいやと、そういう見解に至った。

 

かくして、普通に飲食店のアルバイトをして過ごしていた私だが、一応大学に行きたいとは思っていた。この時、普通に高校に通っていれば高校二年生であった。高卒認定は早々に取得していたので、その先の大学受験のための勉強を始めようとして、それまで一日7h、週4~5日で入れていたシフトを、じわじわと減らし始めていた。ときどき旅に出たりしていたものの、それ以外に何か大きな買い物をするわけでもなく、貯金も30万ほどあったので、貯蓄よりも勉学に必要性を感じたのだ。

 

そんな感じでしばらく過ごしていたのだが、ある日、それまで可愛がってくれていた社員たちから、よそよそしい態度を取られていることに気が付いた。食事も向こうから誘ってくれていたのに、今はこっちから誘っても、メッセージの返事さえ来ない。挨拶しても返してくれない。業務連絡だけはかろうじて、訊いてくれるが、誰も目は合わせてくれない。

 

まさか、何か知らないうちに大きなミスをやらかしていたのではないか、クレームを貰ってしまったのかと、戦々恐々としていた私は、社員たちの顔色を窺いつつ、その日の帰りに、事務所で休憩していた店長に「あのう、何かしましたか」と恐る恐る尋ねた。すると、店長はたばこをぷかぷかふかしながら、私の顔も見もせず、煌々と光るパソコンの画面を見つめながら答えた。

 

「あのさ、将来のことが大事なのもわかるんだけど、いきなりシフト減らしたりされると困るんだよね。こっちも人手がいま足りないしさ。別に勉強するなって言ってるわけじゃないんだけど、店側としては商売だしさ、君一人の将来より店の将来のほうが大事なんだよね」

 

血が全部足元に下がっていくような感覚。それ自体は初めてではなかった。でも、学校も行っていないし、家庭にも居場所がなくて、バイト先が唯一の居場所だと思っていたので、大げさでもなんでもなく、それまでの人生で最もショックな出来事だった。足元から世界が崩れていくのを感じた。今度こそ、私は息が出来なくなって、死ぬのではないかと思った。そして店長は、たばこの煙をフーッと吐ききり、私にとどめを刺した。

 

「あれ、なんか勘違いしてない?僕は君を可愛がっていたわけじゃなくて、シフトにたくさん入ってくれる子を可愛がっていただけだからさ。君じゃなくてもいいんだよ。あ、もし辞めるなら、代わりにたくさん入れる子紹介してくれると助かるわ~」

 

店長は、ついに私の顔を一度も見ずに、話を終えると、私を事務所から追い出した。言い返せなかったというよりも、バイト中毒だった私は「そうか、シフトにたくさん入れない私は要らないのか」と、妙に納得してしまっていて、言い返すという発想すらなかった。

そして、私はバイトを辞めた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

自分にとって残された、世界で最後の居場所からも追い出された。しかも、ご丁寧に、「君は要らない」というレッテルをぺたりと貼り付けられて。

私にはもう、○○高校×年とか、△△部の部長とか、「フツウ」の人が持っているはずのそういう所属や肩書もなくて、さらに家庭崩壊もしてるから、母の娘であるとか、兄の妹であるとか、そういう意識すら持っていない。社会とのつながりがなくなった私は、素っ裸で宇宙空間に放り投げられた気分だった。

そのころから、私は、援助交際の真似事をするようになった。「真似事」と表現するのには理由があり、これは後述する。

私は何も考えずに、ネットの掲示板で会ってくれる男性を探し、都内のホテルで行為に「及ぼうとした」(この意味についても後述)。本当に、びっくりするぐらい、何も考えていなかった。私は今でも、この頃の自分が何を思ってこの行為に及んだのかは分からない。(だから、今、こんなに苦しんでいるのだが。)まあ、改めて自身の行動を振り返り、理由を後付けするならば、せいぜい「寂しかったから」。こんなものであろうか。やはり、私にとって世界で最後の居場所がなくなったから、それを作るために、誰かと、繋がろうとしたのかもしれない。

さて、「真似事」、「及ぼうとした」というワードを強調した理由を、説明したい。私はこの頃、数人の人たちと会って、行為に及ぼうとしたが、なんと、全員の男性器が、私の女性器に入らなかったのである。処女だったせいもあるかもしれないが、私のまんこは、どうやっても誰のちんぽも受け入れなかった。援助交際やってる子が処女なわけないだろうと勝手に思ってるおっさんたちが、ごりごり遠慮なくちんぽを入れてこようとしたのに、だ。

 

オイルやローションを塗っても、私のまんこは難攻不落であった。そうこうしているうちにホテルの時間制限を迎え、どのおっさんたちも予め約束していた金額より安価な紙幣を私に握らせ、「思ってたのと違う…」みたいな悲壮感溢れる表情をしながら、ラブホの店先で私と別れていくのであった。

 

 

◇◇◇

 

 

この出来事を振り返り、なぜこの時私の女性器は開かなかったのかを解明していくことが、私の使命だと思うのです。

まだ、このお話は、少し続かせてください。