パンツは履いておけ。

いろいろはみだしてる人の人生備忘録

心が美しい女性

引っ越しに向けてタンスの中の荷物を整理していた時のことだった。

たくさんのタンスの肥やしの中から出てきた、誰かへのプレゼント。色褪せた包装紙を開けると、真新しい一本のタイツが入っていた。

私はふと、それが誰から貰ったものだったのかを思い出した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 高卒認定を取って暫く、大学受験に向けて勉強をしていた私は、近所の区立図書館に自転車で通っていた。広い道なのだが点字ブロックと段差が多く、転ばないように非常に気を遣う場所だった。

 その日、寒い冬の夕方だったが、私はうっかりブロックにタイヤを取られて、派手に自転車ごと転倒した。したたかに膝を打ち、皮膚は履いていたタイツごと擦りむけ、血がたくさん出た。鞄はカゴから投げ出され、いい年をした若者にも関わらず、思わず涙目になるほど痛かった。

 だが、誰も助けてはくれなかった。見て見ぬふりをして、私の横を自転車で通り抜けていくおじさん、私に視線をこぼすが「あらまぁ」という感想だけ漏らして去っていくおばさん二人組。

交通量が多い道なので人はたくさんいたが、当時妙に厭世観を持っていた私は「まあこんなもんだろうな」と思い、往来の真ん中でうずくまった。

 

その時だった、一人の女性が私に駆け寄ってきてくれた。

「大丈夫?」

20代後半ぐらいだった。彼女は自転車と私を道端に移動させ、近くにあったベンチに腰掛けさせてくれた。

「絆創膏と傷薬取ってくる、私の家、すぐそこだから。」

女性はそう言って、すぐ近くのマンションに駆け込んでいった。

道端で転んだ人間が放っておかれるのが当然だと思っていた私は、呆然とその背中を見つめた。

 

暫くして戻って来た女性は、救急箱と新品のタイツを持っていた。

私の手当てを素早く済ませると、「これ、どこかのトイレで履き替えて」とタイツを渡してくれた。

「でも」と私は断った。

そこは吉祥寺にほど近い場所だったし、タイツを売っているところなんてたくさんある。だから自分で買いなおそうと思っていたのに。

「いいの、今買ったばっかりのやつだから、気にしないで使って」

ますます気にするのだが……と思ったが、ありがたく受け取った。

 

「周りの人にどうしたのって聞かれたら、ちゃんと転んだって言いなね」

今だから分かるが、きっと女性は私の転んだ傷がレイプされた後だと周りに勘違いされたらいけないと思い、そうしたのだろう。タイツを渡してくれたのも、周りからのあらぬ勘違いを防ぐためだったのだ。それぐらい派手に転んで傷だらけになっていた。

 

私は彼女にお礼がしたいと思い、別れ際に連絡先を聞いたが教えてくれなかった。

「私にお礼をしなくてもいいから、困った人がいたら今度はあなたが助けてあげてね」

女性は私の荷物から飛び出ていた教科書を見て、勉強頑張ってねと言ってくれた。

私は大きくうなずいた。

 

 

 

そうは言うものの、お礼をしないのは気持ち悪い。またいつか道端ですれ違うこともあるかもしれないと思い、しばらくの間私は女性に返すための新品のタイツを持ち歩いていたが、それから二度とその彼女に出会うことはなかった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

私は彼女が何者かも知らない。

ただ、あの時私が出会った彼女は、今まで出会ってきた誰よりも心が綺麗な人だったと思う。その記録は、今でも破られることがない。

当時の鮮烈な記憶は、タンスの肥やしになっていたタイツによって蘇った。