パンツは履いておけ。

この世は乱世

父親になりたくないのだ症候群

f:id:kanakonakonako:20190114192454j:plain

 

例の不倫したい男性に密着してみたよシリーズです。

前記事を未読の方はこちらからお読みください。

 

>>①男のちんぽは何のためにあるのか

>>②不倫希望の男性と、スカイツリーの夜景を見に行って、添い寝してきた話。

 

※毎度のことながら、潔癖な方には向かない話だと思いますので、ご了承ください。

 

 

◇◇◇

 

 

 男性から子供が生まれたとの連絡がきた。私は彼に、父親になった心境を聞いた。

 

「おむつ替えを人生で初めてやった。赤ん坊って、こんな感じなんだ、って思った。でも、逆に言うとそれ以外にできることはないし、まだまだ親になった実感は湧かないんだよね。すぐに保育園に入れるつもりだし、俺の生活は変わらないと思う。」

 

 そんな淡白な文面がつらつらと寄こされて、私は勝手に悲しくなってしまった。

私は、人様の人生の一部を、善意で覗かせていただいている赤の他人なのに。――ただ、もし自分がその娘で、大きくなってから当時の父親の心境を知ってしまったら……と考えると、涙が止まらなくなった。時刻は午前二時半だった。

 

 

 私は頭にきて、

「無関心は最大の虐待です。良い父親になんかならなくたっていいから、娘さんのことをかわいがってあげてください。それだけでいいと思います。」

と男性に送った。マジで私何様なんだろう、と我ながら思ったが、言わずにはいられなかった。

 すると、男性から以下のような返事が、すぐに返ってきた。

 

 

「夫と父と男って、表裏一体なのは頭で分かっている。でも、そのうえで上手く切り離せないものなのかな。

俺はいい夫じゃないのはわかってるし、残った父と男としての二面を両立させることさえも、もはや不可能なのかもしれない。

つまり、まだまだ男でいたいと思う俺は、父親になれないのかも」

 

 

 眠さでぼうっとした私の頭は、彼の思考回路を受容しなかった。スマホを枕元に埋めて、その日は寝た。

 

 

◇◇◇

 

 

 とどのつまり、彼はまだまだ自分を「現役」でいさせたいだけなんだと思った。

 要するに、かわいい女の子がいたら手を出したいし、セックスしたいのだろう。それは前回の発言からもなんとなく察していたことだったし、結婚前も後も風俗やソープに通い、いろいろな女性とセックスをして、海外出張でも現地の立ちんぼの女性を抱いたと語っていた。ちなみに、不倫をしたいと思ったのは、年を重ねて性欲も多少落ち着いてきたので、初見の女性とのセックスよりも、ストーリーのある恋愛の延長にあるセックスをしたくなったかららしい。(いや、ぜんっぜん落ち着いてねぇだろ)

 

 申し訳ないが、この天衣無縫ぶりは、子供が生まれた人間の思考・振舞いとしては最低だと他者から非難されても、致し方ないことだろう。

(ちなみに、私はいい感じに人間の本能が剥き出しなこういう人は嫌いではない。上述と矛盾しているようだが、傍観者として見るなら面白いと思う。まあ、感情移入してしまうとこのように怒りがわいてきて、メンタルがズタズタにやられるので、絶対身内にいてほしくないタイプだが。)

 

 しかし、彼を一方的に責めることはできない。彼も、妻一家が権限を持った家庭の中で、子作りを強いられ、排卵日に出張などで外出していると罵られ、そんな状況下にあって父親になるしかなかったのだ。

 じゃあ、そんな嫁とそもそも結婚しなければよかったんじゃないか、と思う人もいるだろう。しかし、私の離婚した両親を含め、失敗者は往々にして「結婚する前はそんな人だと思わなかった」と語る。(こう考えると結婚前の同棲って大事ですなぁ!)

 そして、結婚した後に「はいさよなら」といって別れられるほど事態は単純でもなかったのだろう。

 そこらへんの複雑なニュアンスは当事者たちにしか理解しえないし、他人があーだこーだくちばしを挟むことではないのだ。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 翌朝、夫がいつも通り、仕事に行くよと声を掛けてきたので目が覚めた。寝不足でその影しか捉えることができなかったが、ほっぺたにキスの感触が残っていた。(私が爆睡していてもこのルーティンは欠かさないらしい。)

 

 あんたも、もしかしたら、ほかの女と不倫したいと思ってんの?

 

と、一瞬思ったが、彼の嘘を隠し通せない性格と、甲斐性のなさでは無理だろうな、とすぐに馬鹿な思考は霧散した。

 

 私は寝ぼけ眼をこすり、男性にきついことを言ってしまった詫びのメールを入れた。

 

 

 

 

 

もしもシンデレラにサイン・コサイン・タンジェントを教えたら

f:id:kanakonakonako:20190108161906j:plain

 

 正月、滋賀県の県庁所在地である大津にて夫の親類と食事をとった。

 琵琶湖を眺めながら、鉄板焼きの近江牛をいただく贅沢なランチ。湖のほとりには、晦日に降った雪が融けきらずに残っており、元日の日差しに反射してきらきらと輝きを放っていた。そんな新年最初のレイクビューは、やはり最高だった。

 

 食事の最中、ひとり、私のほうをずっとチラチラと見ている女の子がいた。彼女は、雪ちゃんといった。小学四年生。百人一首や歴史が大好きで、私のことをお母さんから聞いたようだ、会うのを楽しみにしてくれていたという。

 

「担任の先生が百人一首好きで、学校でやっとるんです。それでこの子も好きになって」と、雪ちゃんのお母さん。

 私も、小学四年生のときに百人一首をやっていた。これは唯一自発的にやっていた趣味で、都大会で準優勝した経験があり、まあ、中学受験があったので、百人一首はそれ以降すっかりやらなくなってしまったのだが、一応まだ句をすべて覚えていた。恐るべし、三つ子の魂百まで。

 

「なあ、姉ちゃん、ウチ来たら百人一首やろうや」

 

 ちょうどその後、そのお宅へ上がる予定になっていたので、お邪魔した。

 雪ちゃんは、家に着くなり、いそいそと百人一首の札を並べ始めて、自分のお母さんやお父さん、そしてこちらのお義父さんなどを引っ張り、さっきのホテルでのしおらしさはどこへ行ったのか、いろいろな大人たちを巻き込んで強引に参加させた。

 

 私はえらいことになったと思い、助け舟を求めるように、夫をちらりと見た。すると、言うが早いか「俺は百人一首とか全くわからんから、ごめん」と、せんべい片手にソシャゲを始めた。この野郎。

 お義父さんはお義父さんで、「カナコちゃん、本気出してええで、子供には社会の厳しさを教えてあげなあかん」とささやいてきた。関西人の悪ノリに、私はこれから慣れていけるのだろうか。

 

 

◇◇◇

 

 

 結局、いい勝負を演じ、最後は雪ちゃんに花を持たせてあげて、ご機嫌に2回戦目で切り上げることができた。

 みんなで茶菓子をいただき、昔ながらの日本家屋で団らんした。土壁の香り、木造家屋のぬくもり、畳の感触。祖父母が存命のときは、こういう正月を過ごしたのだが、一家離散してからというもの、思えば、正月らしい正月を過ごしていなかった。

 

 夫が席を外すと、私は異様な気まずさで仕方がなかったが、何も言わないで黙っているのもまずいと思い、適当な世間話を始めると、意外にも向こうの家族は私に興味深々であった。

 

「国立大だなんて、えらい頭がいいんですねぇ。雄太、勉強のこと聞きいや、あんた受験生やろ。」

 別に私はそんなに賢いわけではないんですよ、と返したかったが、まあ、突っ込み始めるときりがないので、スルーした。ちなみに、雄太君とは雪ちゃんのお兄ちゃんであり、高校受験を控えていた。

 突然名前を呼ばれた彼は、「突然そんなこと言われても…」という顔をしていた。私としても、「突然そんなこと言われても…」である。中卒フリーターから大学進学した挙句2回大学変えている奴の話なんて、どう考えても参考にならないだろう。

 

「うちの雄太は数学はよくできるんですけどね、英語と国語の文系科目が全然できひんくて…かわりに雪のほうは、国語や歴史が得意なんですよ」

 

 お母さんはそう言うと、自分に寄りかかって英単語のスマホアプリに夢中になっていた雪ちゃんを、「なあ」とひと撫でした。

 

「やっぱり、男の子は理系で女の子は文系なんですねぇ」

 

 私は、その時、言い返したかった言葉を、愛想笑いとお茶で飲み込んだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 私は、中学受験のときに算数が苦手だった。代わりに、国語と社会が得意だった。対して、兄は、算数がずば抜けて得意だった。

 母親は男女分けされた全国模試の得点分布表と私の成績表を見比べて、「まあ、あんたは女の子だし、仕方ないわね」みたいなことを言ったのを、今でも鮮明に覚えている。以降も、算数の得点が他の科目に比べて多少低くても、あまり怒られることはなかった。そして、ズルい私は、その時女でよかったと思ってしまった。それは私が生まれて初めて、女であることを狡猾に利用した瞬間であった。

 ただ、それと同時に、「そういう風に言われちゃうと、逆に女の子も「なら算数できなくていいや」って思っちゃうんじゃないかな」とも考えていた。

 「女だから~」という社会通念が先回りすることで、それをできなくていいことの免罪符にしてしまう女は少なからずいる。これが算数の話だけにとどまらず、大人になってからのキャリアにも置き換えられることだというのは、後年になってから知った。

 

 もちろん、データによって裏付けされている男女それぞれの適性を頑なに認めないわけではない。理系学部進学率や科目ごとの得点率にジェンダー差があるのは理解している。ただ、それによって「男の子だから」「女の子だから」という社会通念が強固になって、再生産されていくのが恐ろしい。

 そもそも、グラデーションのように無限にある性別を男と女に二分すること自体が(社会生活の便宜上とはいえ)、ナンセンスなことであるのに、それによって他者から適性を決めつけられることほど、どうしようもないことはない。

 

 加えて、思い込みというのは、予想以上に人に影響を与えるものだ。小さいときに「あんたはブス」と言われた経験がある人は、大人になっても呪いのようにその言葉を引きずって、必要以上に自分を不器量だと思い込むし、同じように「女の子は算数が苦手」と言われたら、女性には理数系が向いていないと思い込んで生きていく。

 

 そして、私が以前所属していた大学は、ひたすら「リケジョ」という言葉を推していたが、そこには「理系の学問は、ふつう男性がやるもの」というメッセージが内包されているような気がして、どうも好きではなかった。

 


◇◇◇

 

 

 もしも、シンデレラにサイン・コサイン・タンジェントを教えたら、意外とハマったりして。雑事の片手間に数学の専門書を眺めて、そこから新しい世界が広がったら、彼女は舞踏会に行かなくても、王子様に見初められなくても、ガラスの靴を落とさなくても、幸せになっただろうな。

 

 帰り際、雪ちゃんは私が乗っている後部座席に向かって、「また来てや~!」と全力で手を振っていた。

 彼女は将来、何になりたいのだろうか。そして、何になるのだろうか。

 

 

あけましたおめでとうございます

 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

 クソどうでもいい近況報告ですが、私は大晦日からえっちらおっちらと夫の実家である滋賀へ行き、そこで年を越し、元日は先方の親戚の中に放り込まれ、アナコンダに睨まれたアマガエル状態でした。

 そんな超アウェイの極限で終日愛想笑いだったため、数年接客業のバイトで鍛えた私のさすがの顔面の筋肉も、夕方ごろには痙攣し始めて、顔面崩壊するのではないかと錯覚しました。

 そしてその反動か、だらだらと三が日を終えてしまい、本日も正月気分醒め寄らぬ中、夫の実家でのんびりしている次第であります。

 

 去年は自身の深いところまで掘り下げた『パンツははいておけ』という作品を執筆したわけで、韜晦趣味のある私にとっては、ある意味転換期の一年となりました。人はみんな結局、他人の人生の深い所を覗き見してみたいわけで、そういう所を明け透けに書いているものを渇望しているのだなと。だからこそ、面白いものを執筆したいと思った時に、韜晦は障害にしかならないのだと思い知らされました。

 

 そして大学もまさか二回変わるという事態になってしまいましたが、春から奈良女子大学で勉強させていただきます。国立の女子大に編入というレアな経験もまた、私の執筆に活かせればな、そして学業を疎かにしないようにしなければならないな、今度こそ袴きちんと着て卒業してえな、と考えております。今まで小・中と不登校で、高校は行ってなかったので卒業式今まで一度も出たことねーんですわ、わはは。

 

 執筆の方も色々と名義がごちゃついてたわけなんですが、今後もオトメカナコとして活動して頂ければなと思います。何卒よろしくお願いします。

 

 

イヤリング紛失選手権

f:id:kanakonakonako:20181222230025j:plain



 私はほぼ毎日イヤリングを耳に着ける。で、1ヶ月に一個ぐらいのペースで無くす。

 もう、この短い半生で紛失したイヤリングの数が半端じゃない。片方になってしまったイヤリングだけで、私、個展開けるんじゃねぇのってぐらい。

 

「ピアス開けたらええやん」

 

と、夫に言われたが、「痛いの無理」と即座に却下した。

 私はとにかく痛いのがダメなのだ。6階から飛び降りた人間のセリフではないが、この強気な性格に似合わず、コンタクトレンズも入れられないぐらい、実は臆病でナイーブな一面もあったりする。誰かギャップで萌えてくれ。

 

 そんなこんなで、懲りもせずイヤリングを着けて出かけたら、やっぱりまた失くした。お気に入りの奴だったので人知れず泣いた。300円ショップで買ったものとは言え、デザインが気に入っていて、愛着があったので一層悲しかった。

 駅の本屋でふと、自分の左耳にあるはずのそれがないことに気づいて、一気に落胆して、そのまましょげて何も買わずに書店を出てきたのだ。

 

帰宅後、さめざめとした表情で食卓に着いたのだが、だんだん開き直って来て、

「イヤリング紛失選手権あったら優勝できる」

と夫に豪語したところ、バカなこと言ってないで早く夕飯食って風呂入って寝ろ、と言われたので、その日はさっさと夕飯を食って風呂入って寝た。

 

 

◇◇◇

 

 

 イヤリングを失くしたときの、あのショッキングな感じは、誰かに嫌われていることをうっかり知ってしまった時の感情に似ていると思う。

 人づてに悪口を聞いたとか、SNSブロックされてたとか、そういうことがあった時、あばらの隙間を縫って、不意に心臓へアイスピックを刺されるようなあの感じ。

 そして、イヤリングを落としたことに気づいた瞬間も、それに近い感覚に襲われるのだ。

 

 友人もイヤリングも失くしまくって来た私が編み出した経験則では、友人だろうとイヤリングだろうと、失くした日はさっさと食ってさっさと風呂入ってさっさと寝るに限る。心がヒリヒリと擦りむけている日は、何をやっても上手くいかない。

 でも、次の朝起きたら、その傷口は、ぷっくりとかさぶたを作り、回復を仕掛けていることが多いし、イヤリングのことは割と忘れてる。

 失ったのが人の場合は、親密度にもよるが、しばらくの期間無心で食って無心で風呂入って無心で寝る、を繰り返せば、これも割とどうでもよくなってくる。その人だけが自分の人生を構成するすべてじゃないよなって、開き直れる。むしろ怒りすら湧いてくる。所詮、そんなもの。

 

 人とイヤリングを一緒にするなと言われたら確かにぐうの音も出ないが、色々共通するところは多いと思うのだ。

男性にはあまりピンとこない話題かもしれないが、頷いてくれる女性がいることを信じている。

 

 

 今まで失くしたイヤリングの数と、切った人間関係の分だけ、強く生きていきたい。そんな事を考えながら、今日もイヤリングを着けて出かけたら、また失くした。泣いた。さっさと夕飯食ってさっさと風呂入ってさっさと寝ます。

 

女の本懐

f:id:kanakonakonako:20181220143052j:plain

 

 小さい頃から、私は「女の役割」を肌で実感させられていた。そして、それを遂行しなければ、自分の居場所が作れないのだろうと考えていた。

 それをふと思い出させられた出来事があったため、ちょっと書いておこうと思う。

 

 

◇◇◇

 

 

 父方の祖父母にとって、私は内孫の中での唯一の女の子だった。だから、父方の親戚からは、ひとしお「女の子」として扱われていた。

 男ばかりのいとこの中に混ざって外遊びなどしようものなら、まずスカートの下にブルマを穿いているかをチェックされる。

 私の兄弟といとこがさっさと靴を履いて外に駆けていく中、私は自分のスカートをまくりあげて、ブルマを穿いているところを大人たちにきちんと証明してからでないと、外で遊ばせてもらえなかった。

 そして、親戚の集まりなどでみんなでご飯を食べるときに、私が男の子たちや大人のおじさんたちよりも早く食事に手をつけようとすると、母親や祖母から「女の子が、みっともない」「意地汚い」と小言を言われたものである。隣にいた弟は、よっぽど腹を空かせていたようで、がつがつと好きなマグロの寿司を食べていたのに、だ。

 女だって腹は減る。男より先に手を付けていけないのはなんでなの? だが、当時の私は、まだ、それを大人たちに聞く勇気を持ち合わせていなかった。

 だから、私は黙って女の子に「なる」。好き好んで、この性別に生まれたわけじゃなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 話は飛んで現在。2X歳の私。もうすぐ関西へ引っ越すので、時折荷物の整理のため、東京の実家へ帰っている。

 もう、関東へは戻らない。戻りたくもない。この地は、私には合わなかったんだと思う。人も空気も大学も、何もかも。最も、どこにいても、私のような偏屈な人間、生き辛いと感じて、勝手に死んでいくだけなのかもしれないが。

 

 本棚を整理していたところ、一冊の古ぼけたノートが出てきた。

ずいぶん色褪せていたけど、私たち兄弟の3人の名前が書かれていて、「育児記録」と書かれていた。

 それは、紛れもない、母が昔使っていたノートだった。夜逃げした際に、置いていった物らしい。私は恐る恐る、ページをめくった。

 

 

199X年6月14日 あめ (兄の名前)6才 (私の名前)(弟の名前)2才9ヶ月

お兄ちゃん、6才の誕生日は雨。代々木の〇×学園の模試を受けるため、ママと外出。

 9:30~12:30まで模試。代々木駅近くのコージーコーナーで、苺のジャンボパフェを食べる。家に帰り、HappyBirthDay。

おじいちゃん・おばあちゃんに来てもらう。

16時~18時。ケーキを食べ、お寿司を食べ、楽しそうだった。

プレゼントは先渡しのオセロゲーム。

 

 確か、兄は幼少期、オセロが好きだった。よく私も付き合わされた。そして、今は亡き祖父母の名前が出てきたことに、少し懐かしくなった。

 ページをめくる。

 

199X年7月4日 はれ (兄の名前)6才 (私の名前)(弟の名前)2才10ヶ月

(私の名前)ちゃん

おしゃべりが上手になった。ときどき、"何すんだよ、ぶーぶー!"とすごい口調になるが、だんだん女の子らしくなってきている

スカートが好きで、髪型の注文をつける。公園に行くのもスカート。

髪は、おねえちゃんする(ポニーテールのこと)とかしずかちゃんにする(ふたつに分けて結ぶ)とか…その日によって違う。鏡の前でうっとりしている。

 

 女の子らしく「なってきている」んじゃなくて、私は、あなたたち大人に、女の子に「させられた」んだよ。

 

199X年1月17日 (兄の名前)6才7ヶ月 (私の名前)(弟の名前)3才4ヶ月

(兄の名前)くんは、小学受験の入試が終わった。さんすうが得意。もう掛け算が出来るようになった。

 

(弟の名前)くんは、とにかく活発。ポケモンが大好きで、ピカチュウ、ふしぎバナ、ゼニガメetc…毎日変身してポケモンごっこしている。

あまりちゃんとしゃべらないので、「ちゃんと喋らないと、ホントにしゃべられなくなるよ」と脅したら、長いフレーズで突然話すのでびっくりする。

結構核心をついたことを喋る。

 

 

 

 そう。確かに弟はそんな奴だった。もっとも、もう何年も会ってないから、今はどんな人間になっているのかは知らないが。

 

(私の名前)ちゃんは、すっかり女の子。ズボンはきらい、スカートにつながったタイツがお決まりのスタイル。

よくしゃべる。「ママ~!私の優しいママ、だ~いすき」とよく言う。

おばあちゃんから貰ったお人形をどこにでも連れていくので、茶色がかってきた。

 

 

この頃から、私、母親にゴマをすっていたんだなあ。

 

 幼少期の私の世界の全ては、母親だった。

 母親が女の子らしくいてほしいと願うなら、私はそうするしか生きるすべがなかった。だから、多分、ご機嫌取りのために、女の子らしくなっていたんだと思う。今、大人になって、ようやく分かって来たことだけど。

 ちなみに、このノートに記されているお人形とやらは、現在母親が所持している。これを買ってくれた「おばあちゃん」は、母方の祖母——つまり、母の母だった。

私が母親の元を離れる際に、「こんなものいらない!」と母親に叩きつけた。

 とっくに捨てたと思っていたのだが、数ヶ月前に用事があって母親宅を訪ねた際、タンスの上に静かに座らされていた。いちおう自分の母が娘に買った、いわば形見だからだろうか。

 しかし、経年により、人形の髪の毛はボロボロで、顔は煤けている。都内にあるマンションの一室の片隅で、この世の全ての怨念を背負って生きているかのような、薄汚れて、気味の悪い雰囲気を放ち続けているのだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 女になりたくてなった人なんか、この世に一人もいるもんか。(逆に、男になりたくてなった人も、いないはずだ)

 だけど、性自認は女なので、私はトランスジェンダーというわけではない。だから、これからも女として生きていくのだろう。

 そして、女の先輩から押し付けられていた女の在り方っちゅうもんに悩まされ続け、こじらせて生きていくんだ、私は。女でいることに悩んで生きて来たくせに、また女子校の門を叩いてしまったのはそういうことなんだろう。

(そもそも、日本できちんとジェンダー系の科目を開講しているのが女子大ぐらいしかないっていうね。はい。)

 

 日本の性教育が後進的とかいうニュースも流れているが、大学教育で変なキャリア系の講習やるんだったらジェンダーに関する科目をやった方がいいと思うし(だって就職予備校じゃねーんだから)、そもそも、そのもっと手前の段階の初等教育から、セックス(身体的)・ジェンダー(社会的)・セクシュアリティ(内面的)に関する三つの観点から性教育をきちんとやっていくべきなんだ。

 私が死ぬまでに、研究者としてこういう所に何か尽力できればなあと考えている訳で、それが私の女としての本懐だ。

 

 これから生まれてくる女の子たちに言いたいのは、必ずしも女の子らしくする必要はないよということだ。言いたいっていうか、鼓膜ぶち破れるぐらいメガホンで叫びたい。なにこのオバサン、って思われてもいいから。

 女の子らしくなくても居場所はあるし、いくらでも自分で作れるし、それが自分一人しかいられない四畳半ぐらいのスペースだったとしても、あなたが幸せならそれでいいんだ。他人から見て幸せである必要は、ないのよ。って。

 

 

 毎度宣伝失礼します。

 

 

不倫希望の男性と、スカイツリーの夜景を見に行って、添い寝してきた話。

f:id:kanakonakonako:20181218230117j:plain

 

 以前出会い系サイトを介して知り合った不倫希望の男性と仲良くなったので、スカイツリーの夜景を見に行き、浅草で一泊することになった。

……と、初っ端からツッコミどころ満載の一文であるため、まずこのシチュエーションを理解していらっしゃらない方は是非こちらの記事を読んでほしい。

 

virgo.hatenadiary.com

 

 

 まあ、要約すると、不倫したいという男性を出会い系サイトで釣り上げて、不倫そのものをするわけではなく、彼の裏にあった感情や家族関係を聞かせてもらったのだ。

 

 その延長のような形で、先日、こちらへ出張でやって来たその男性とスカイツリー近辺の観光に行くことになった。一泊で。

 

 自分でもさすがに夫への後ろめたさがなかったわけではないが、抑えきれぬ好奇心にノックアウトされた。この人がどんな想いを抱えて生きているのか、知りたくてしょうがなかった。

 

 結論から申し上げると、いかがわしい関係には一切なっていない。「一泊する時点でそもそもいかがわしいだろ!」とお怒りになる潔癖クリーンな方はきっとこの文章読んでもくそつまんねーと思うので、ブラウザバックして頂いて結構です。さよなら。

 私と同じように、大人な社会科見学を目の前にして、脳内からどぴゅどぴゅ分泌されるアドレナリンが抑えきれない方だけに、この文章を読んでいただきたい。

 

 

◇◇◇

 

 

 15時に上野駅で待ち合わせた。仕事を早く切り上げて終わらせてきた男性は、やぁと言った。一泊のわりにはやけに身軽で、ウエストポーチだけだった。

 

「実はもう先にホテルチェックインしてきたんだよね。先に浅草行こうか」

 

 なるほど、気が早い。そのまま地下鉄で浅草へ行き、ホテルに荷物を置きに行った。なかなか高そうな観光ホテルで、アメニティもばっちり。ロビーですれ違うのは中国人観光客ばかりだった。

 

 荷物を置いて、私たちはタクシーでスカイツリーへ向かった。すみだ水族館でライトアップされたクラゲを眺めた後、お土産ショップのチンアナゴがやけに狙いすましているかのように男性のそれだったので、二人で下品に笑った。

 日が暮れ始めてから、やっとスカイツリーの展望デッキへ。さらに上の展望回路ではちょうどドラゴンボールとのコラボがやっていたので、ひとしきりDBトークで盛り上がった。フリーザ様のカルタめっちゃほしかった。

 そして、またタクシーで浅草に帰り、料亭で鍋をつつく。やけに面倒見のいい女将で、腹がはちきれるほど食べさせられた。

 

 そして、ホテルに戻ると、ぼんやりとした照明があいまって、微妙な雰囲気になった。一言でいうなら、ここからセックスに持ち込まれてもおかしくない感じの、アレ。

 だが、男性はその気まずさを察してくれたのか、いやらしさのない笑顔で言ってくれた。

 

「何もしないから、大丈夫」

 

 何度か会って、それなりの信頼関係を構築していたので、信用することにした。まあ、もしそういう方向に持って行かれたとしても、私が生理中だったので、どうあがいてもセックスはできない。最も、私もわざと生理の時にこの日程を当てたのだけれども。

 

 お互い別々に風呂に入った後、うるさいぐらい窓全面に見えるスカイツリーを眺めながら、部屋のバーカウンターのようなスペースで飲み物を飲みつつ、話をした。

 

「俺も人生折り返しか」

「折り返しなんて、まだ早いですよ」

  

「昔はさ、自分を磨けば磨くほど輝いて、素敵な人間になれると思ってた。実際、学生の頃はそうだった。大学は一応難関ってよばれるような大学だったけど、勉強だけの人間って思われたくなくて、何人かの女性と付き合って、バイトもして、インターンとかさ。実際、その頃が一番人生上手くいってたし、自分最高って思ってた。

——でも、今はダメなんだよね。磨いても磨いても、若い頃みたいに輝かない。むしろ、磨けば磨くほど、自分がすり減っていくだけなんだよ。」

 

 磨けば磨くほど、自分がすり減っていく、か。

 

「じゃあ、なんで不倫なんてしようと思ったんですか。磨いてもすり減っていくだけってわかってるのに、どうしてそんなリスキーなことを。」

 

うーん、と男性はしばし考えた後、私の目を見据えて言った。

 

「自分がぴかぴかに磨かれている時——恋愛でも勉強でも仕事でも、主体的になって何かに挑戦しているときって、自分がこの世界の主役って感じするじゃん。その感じをもう一度味わいたかったんだよ。ダメ元でも、削れてしまってもいいからさ」

 

ふむ、と私は聞き入った。

 

「人生はよくRPGに例えられるけど、それって本当に秀逸だよね。

結婚して子供をもつ前までは、自分が主人公でいられる。だけど、一回子どもを持っちゃったら、俺たち大人は、主人公から格下げにならないといけない。なぜなら、子どもがそのパーティの主役になるから。」

 

 「そうですね、子どもがいたら、それ中心の家庭になりますもんね」

 

「でさ、いつまでも主人公の座を子どもに譲らない親は、世間から非難されちゃうわけ。自分勝手で親の資格がないって。親の資格って何なんだよ」

 

「——で、悪あがきをしたかったんですね。お子さんが生まれる前に」

 

男性は、気恥ずかしそうに頷いた。彼は、来月、娘が生まれる。

 

「ねえ、君はどう思う。いつまでも自分が主人公でいたいって願うのは、そんなに悪いことだと思う?」

 

 私は、母親を思い出した。

私の母は、私たち子どもがいるから、自分はアル中DVの夫から逃げられないといった。そして、ヒステリーを起こし、私たち子どもに当たった。

彼女は、主人公の座を私たち3人の子どもに譲ったばかりに、自分の好きな人生が歩めなかったと、未だに恨み言のように言っている。

 

成人した今でも、私の本心は「だったら、産まなきゃよかったのに。無責任に、愛してもいない人間とセックスなんかして、子どもなんか作らないでよ。」それに尽きる。

 

 私は、溢れ上がる感情をこらえきれなくなって、肩を震わせて言った。

 

「自分が主人公でいたいなら、子どもなんか作っちゃダメだったんですよ。そういう親の元に生まれた子どもがどうなるか知ってます? 私みたいな、傷だらけの、自尊心の低い子どもになるんです。」

 

 その時、薄暗い照明の中で、ぼんやりと、男性が傷ついたような驚いたような顔をしていることに気が付いた。

 しまった、今夜一宿を共にする関係とはいえ、赤の他人に感情的になってしまった。私は即座に謝ったが、男性は「その通りだよ」と、何か諦めたような表情をしていた。

 私が自分の生い立ちを話し始めると、男性は黙って聞いていた。ずっと、シャンパングラスの気泡が上に上がっていくのを見つめていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 深夜2時を回った頃、ようやく床につくことにした。よりによってダブルベッドだったので、私は他人の家の布団に入るように、おずおずと掛け布団をめくり、足を差し込んだ。やけに清潔なホテルのシーツは、無機質で冷やっこかった。

 

 男性は、ベッドの中央に身体を横たえたので、私はベッドの淵ギリギリまで追いやられていた。

 処女かよ、と男性に笑われたので、まあそれに近いもんです、と口答えをした。

 

「取って食いはしないから、隣に来てよ」

と、自身の横をぽんぽんと叩く男性。

 

 前回聞いた彼の事情を思い出し、少し同情の気持ちが沸いてしまい、私は素直に男性の真横へ寝転んだ。

 

 

「俺、娘の名前、君の名前にするわ」

「はあ!?」

 

こいつ正気か。出会い系サイトで知り合った得体の知れないオンナの名前を娘につけるとか、イカれてやがる。しかも、サイト用の偽名だし。

 

「いやさ、実は昔、俺の名前も、生まれる前に親戚みんなで考えて決まってたらしいんだけど、役所に届け出しに行く途中で親父が閃いてさ。その場でつけたヤツが俺の名前になっちゃったんだよね。だから、そういう思いつきとか偶然ってのも大事にしたいなって」

「将来、娘に名前の由来聞かれて答えられなくても知りませんよ」

「大丈夫、上手く誤魔化すって。『お前が生まれる前に出会った、素敵な女の子の名前をつけたんだよ~』って」

 「うわキモい」

 

ははは、と笑い飛ばして、気が付いたら私たちは、眠りに落ちていた。

翌朝、ホテルの朝食サービスの時間が終わるぎりぎりに起きぬけて、モーニングを頂き、浅草をぶらつき、昼過ぎに上野で解散した。

 

 

 

 自宅に帰ってから、夫への罪悪感のあまり、私は手の込んだ料理を作った。身体の関係こそなかったが、夫に内緒で他の男性と一泊してしまったことは、さすがに自分の良心を蝕んだ。

 そして、私が手の込んだ料理を作る時は、何かをしでかした時だということを熟知している夫は、2時間かけて作った私のお手製罪滅ぼしディナーをぺろりと平らげて、それ以上何も詮索してこなかった。

 

 

自分の人生の中でも指折りの不思議な体験だった。

 

 

 

この話はフィクションで、実在の人物・団体とは関係ありません。

 

なんてね。

 

 

 

 

 販売してます!

 

「激しさだけで売らなくていい」/ヤリマンの私、バンザイ。

f:id:kanakonakonako:20181204222613j:plain

 小野美由紀先生のクリエイティブライティングに参加してきた。(通算二度目)

午前中に身体を動かして、午後に文字を書く。そして、最終的に一日の総決算として何かをクリエイトして他の参加者の前で発表するというのがこのプログラムの流れだ。

 私はずっと書きたいと思って構成を考えていた「パパ活」をテーマにした小説の書き出しをここで執筆した。

 

 小野先生は私の小説を聴き、「激しさだけで売らなくていいんじゃない」と言った。凛とした声が、上野区民館の一室に響いた。

 

 その言葉を聞いて、私は安心した。同時に、激しさだけが私の持ち味じゃないよな、と思った。

 題材とするコンテンツ選びがいつも性と生に対して鋭利でグロテスクなものばかりという自負はあったけれど、それ以上に、私が伝えたいものはグツグツと腹の奥底で煮立っている。

 パパ活はいわゆる「流行り」で、そろそろ煎じられ過ぎて出涸らしも出なくなりそうなコンテンツ。分かってる、そんなの分かってる。だけど、そこに私の「性と生」観を加えれば、まだ十分にうまみのある、付加価値をプラスした美味しい小説が出来上がるのではないかと考えて、あえてこの題材で書くことにした。

 

 だから、小野先生の言葉を聞いた時に、なんか安心したんだと思う。まだ自分の心の奥底にあるものと書きたいものが一致していないけど、小野先生に「方向性は間違ってないよ」って背中を押されて、テストの答案を確かめ算してもらった気分。

 帰りに小野先生からもらった、コメントが書かれた付箋には、「あとは読者に何を与えたいかを選ぶだけ」と書かれていた。私は何を与えられるだろうか。

 

 

◇◇◇

 

 

 私は色々なことに対して、"ヤリマン"で生きてきた。

 習い事もたくさんやった。でも全部長続きしなくて、特に母からやれと強制された日本舞踊やピアノなんかは、十数年経った今では、血を吐く思いで身に着けた舞の所作も、楽譜の読み方も、染み抜きされたみたいにすっかり私の身体の中から抜け落ちた。

 母親からはそれを、「長続きしない」「根気がない」「どうしようもない子」と酷評されて生きてきたのだが、今になるとヤリマンでよかったのかも、と思うことがいっぱいある。

 舞い方や楽譜の読み方は忘れても、それを"経験した私"は消えないからだ。私が生きている限り、永遠に消えることはない。

 

 物書きは、たくさんのことを知らないと書けない。もちろん、取材や書き手の想像力で補完できる部分も多いにあるけれど、結局は、自分が何を経験してきたが「読者に与えられること」なのではないかと思う。

 

 だから、ヤリマンの私はヤってきた分だけ他人に与えられることが多いのではないだろうか。とりあえず無事に執筆を終えられたら、ヤリマンでよかったぜって叫びたい。